「高校生編」に続き、大学時代の音楽事情です。
前回も少し書きましたが、本当はずっと音大に行くつもりだったんですよね。
でも結局色んなことを考えた結果、普通の私立大学に行くことになりました。
行くことになりましたって言っても、中学受験して入ってから、そのまま同じ私立高校、
そしてそのまま同じ私立大学に移行して入ったという感じです。
その大学には「芸術学科」というところもあったので、そこで音楽を学ぶことも出来たっちゃ出来たのですが、
いやもう大学選ぶ時に就職に不利だ有利だっていう話もあったので、
芸術学科行っちゃったら結局それはそれで就職に不利とかまたなっちゃうんじゃね?的な考えで、結局そこも選びませんでした。
結果僕が選んだのは「経済学部経営学科」です。
なぜかと言うと、就職に一番有利そうだから。
音楽以外に特別やりたいことも勉強したいこともなかったので、そうなるとぶっちゃけなんでもいいんですよね。
だったら就職云々の話があったんだからここは一番有利そうなところにしてやろうじゃないかと。
あと、僕は小学校〜高校にかけて、一番嫌いな教科が「社会」だったんですね。
地理とか政治とか経済とか分かりませーん興味ありませーんっていう状態だったので、
どうせこれを学びたいってものもないならじゃあもう逆に自分を追い込んでやろうってことで、
一番興味なさそうなところを選びました。
大学で専門的に学べばちょっとくらいは興味持つこともあるんじゃないかっていう淡い期待も込めて。
まぁでも、そんな感じで選んじゃったもんだから、大学1〜2年生の頃は正直いつ辞めてやろうかと思うくらい勉強はつまらなくてずっと苦痛でした。
3年になってマーケティング(消費者心理学)のゼミに入ってからはようやく面白いと思えるようになって、そこからは相当ちゃんと勉強しました。
だから自営業となった今、その頃の勉強がなんとなく役に立ってます。
で、音楽の方はというと、大学の軽音楽部(サークル)に入りました。
部員も多く、先輩後輩含めて全体的に仲の良いサークルだったので、そのおかげで学生生活は相当楽しみました。
ほぼ大学生活(この頃の音楽生活)の中心はサークルでしたね。
サークルでは、年に3〜4回くらい定期演奏会っていうのがあって、
外部(主に横浜や東京周辺)のライブハウスを貸し切ってライブをやってました。
かなり色んなライブハウスを使わせてもらってたので、この時横浜と都内のライブハウスにちょっと詳しくなりました。
その他に合宿も確か年2回くらいあって、学内では文化祭や新入生歓迎歓迎ライブなどもあったので、
とにかくライブをする機会がやたら多かったように記憶してます。
簡単に換算すると、年に8回位ライブやってたってことかな。
僕は結構しっかり参加させてもらってた方だったので、ほぼ毎回のように何かしら出てたんじゃないかなぁ。
しかも1回のライブで、多い時は2〜3バンド掛け持ちして出てました。
サークルは基本的にコピーバンド中心でした。
ライブがあるごとに、
「今度のライブで○○のコピーやんない?」
みたいな感じで話が出て、その後パートごとのメンバーを部内で集めて行くようなスタイルが多かったです。
その都度コピーバンド作って、スタジオ入って練習して本番やって、ライブが終わったら基本そのバンドも終了っていう感じ。
仲良い人達同士だったり気に入ったバンドだったりすると、同じメンバーで固定バンドみたいになることもありました。
僕も固定バンドも組んでました。僕が作曲したオリジナル曲もやってました。
パートは主にベースが一番多かったです。
バンドによっては結構「サックス吹いて」って呼ばれることもあったのでテナーサックスもよくやってました。
キーボードで出たこともちょいちょいありました。
そういえばドラムでライブやったことも1回だけありましたねー。
大学に入ってからはギターを弾くことはほとんど無かったと思います。
ちょっと面白いところで、アイルランドの民族楽器の「バウロン」という太鼓と、「ティンホイッスル」というフルート(笛)をちょっとやったりしてました。
当時、ザ・コアーズというバンドが好きだったんですよ。
デビッドフォスターがプロデュースするアイルランドのバンドがデビューすると聞いて、
当時からデビッドフォスター好きだった僕はデビューから注目してたんですが、
それがそのコアーズだったんですよね。
それきっかけでアイリッシュ音楽に興味が出始めて、アイルランド行っちゃおうってことで、実際にアイルランドのダブリンにも行っちゃったんですw
そこで現地の楽器屋さんに行って、バウロンとティンホイッスルを3個ずつくらい買いました。
バウロンは、楽器屋さんで店員のお兄さんに「ちょっと叩いてみて」って叩いてもらって、大体の叩き方を見て覚えて、
教本もついでに買って帰って独学で練習してできるようになりました。
ティンホイッスルは、基本的な指使いとかはリコーダーと似てるので、
ちょっと覚えると割とすぐそれなりには吹けるようになります。
で、この頃から自分がリードボーカルで歌うことも少しずつ増えて行きました。
歌うって楽しいな〜と思い始めてた頃です。
基本的にバンドで楽器弾きながらコーラス取ってハモったりすることは多かったんですよね。
もともとハモるのは大好きだし得意だったので、それはそれで楽しんでました。
で、たまーに曲によって、バンドによって、リードでも歌わせてもらってましたね。
ただ正直、自分の声が全然好きじゃなかったし、メインで歌うほどリード向きの声だとも思ってなかったし、
高い声出ないし、声量なくて声張れないし、自信なかったんですよね。
唯一ビブラートとかフェイク的なのがちょっと器用に出来たくらいで。
歌うくらいならまだ楽器の方が自信あったし、楽器の方が色んなバンドから声かけてもらえてたから、結局楽器でバンドすることが多かったんですよね。
ちなみに大学時代もコピーする時は楽譜なんてまずないので、ほとんどが耳コピ。
これもまた相当鍛えられました。
合宿に行くバスの中で初めて曲聴いて音取って覚えて、到着したらスタジオですぐ合わせる・・なんてこともありましたからね。
しかしまぁ、すごーーく色んなバンドをやったし、すごーーく色んな曲をやりましたよ。
もちろん自分の好きな音楽でバンド組むこともあれば、聴いたこともないような曲をやるバンドから声かけられて参加することも多々ありましたから、
色んな音楽を知ったり聴いたりする機会も多かったわけです。
しかも色んな人とバンド組むので、その都度アンサンブルとか音を作り上げて行くことを学びました。
コピーしたアーティストや曲数はもう多すぎて「これです」って言えないくらいやりました。
全体的に洋楽が多かった印象がありますが、J-POPもかなりやりました。
当時人気があったパフィーとかスピードとかもコピーしましたねw
大体1回のライブで1バンドにつき5〜6曲やるわけですよね。
で、2バンド掛け持ちすれば単純に10〜12曲になるし、3バンドなら15〜18曲になりますね。
それを年間8回もやってれば、下手したら1年で100曲近くやることになります。
それを4年間しっかり活動してたから、そりゃーすごい数のバンド、ライブ、曲数をやったわけですよ。
(・・って言っても4年生の時はほとんど活動しないけど。)
副主将もやったので幹部的なこともやってたし、それくらいサークルがっつりでした。
そんなこんなで大学の頃はサークルでたくさんの音楽や人に触れることがとにかく楽しくて、
音楽でプロになろうとか仕事しようとか、だんだん考えなくなりました。
というより、これをどう仕事にしていいのかよく分からなかったんですよね。
「就職活動編」へ続く!