「中学生後編」に続き、今度は僕が高校生になってからの音楽史です。
高校は、中学からそのままエスカレーター的に上がりましたが、高校からは共学になりました。
中学から仲良かった友達も継続しつつ、高校から新たに仲良くなった友達もたくさん出来ましたね〜。
部活は、運動部は必須ということで(親に言われたのか自主的にそうしたのかは忘れました)、水泳部に入りました。
実は小学生の頃からしばらくスイミングスクールに通っていたので、泳ぎはそこそこ得意だったんですよね。
テニスよりはある程度自分の得意分野だったのと、仲のいい友達も入っていたのでそこそこ楽しみながら出来ました。
それと、中学の時にはなかった軽音楽部が高校にはあったので、並行して軽音部にも入りました。
中学の時からずっと入りたかったので、ようやく念願かなってという感じでした!
あと、ブラスバンド部でベースを弾いてほしいとお声をかけていただきまして、これまた並行してブラバン部にも参加することに。
そんなこんなで結構忙しい高校生活を送ってましたよ!
高校1年の時は、クラスで楽器や音楽が得意な人が集まって有志演奏をしました。
僕は鍵盤やベースを弾いてました。そういえば曲によってはリードで歌ったりもしました!
この頃からボーカルとしても歌い出してたかも。
そのメンバーで外のライブハウス貸切ってライブしたりもしましたねぇ。
僕が作ったオリジナル曲もやらせてもらった気がします。
高校1年生の夏に、学校のホームステイプログラムでアメリカに短期留学に行ったんです。
ホームステイしたのがクリスチャンの家庭だったので、毎週のように教会にも行っていたんですが、
なんかみんなの前でピアノを弾かされた気がしますw
ちなみに僕は高校に入ってからドンドン洋楽を聴くようになって行きました。
当時アメリカではマライアキャリーがちょうど絶頂期に売れている時で、あとホイットニーヒューストンの映画の「ボディーガード」が大ヒットした時でもあったので、
アメリカの音楽はマライアとホイットニーで沸いてました。
僕もその辺は好きで良く聴いてました。
あの人たち独特のフェイクっぽい歌い回し(「メリスマ」といいます)を自分もやりたくて、必死にマネしてたらそれらしいことが出来るようになりました。
中学の時にビブラートは出来るようになってたので、その延長で音を動かせばいいんだなと自分で勝手に解釈して練習してたらメリスマも出来ました。
軽音部では3年間通して、主に3つくらいのバンドを掛け持ちしてました。
(ちなみに副部長やってました。)
一つはMR.BIG、Extreme、Guns ‘N Roses、Aerosmith、TOTO、B’zなどのロックやハードロック系のコピバン。
そこでは僕はベース弾いてました。
もともと僕はその頃そういう音楽を自主的には聴いてなくて、「こういうバンドやるからベースやって」と言われて入ったバンドだったんですね。
だから色々学べたし、テクニック的にはすごく磨かれた気がします。というか、相当難しいことやってました。
MR.BIGの「Addicted To That Rush」とかもコピってたよw
そういえば交換留学生で来てたアメリカ人の子をボーカルで入れてみたりしたこともありましたね~。
もう一つはTMNやダンス系の曲を中心に、オリジナルなどもやっていたユニット。
そこでは僕はベース、ギター、テナーサックスなどをやってました。
ちょいちょいオリジナルもやってたので結構曲作りもしてました。
お気付きかと思いますが、僕は高校に入ってからエレキギターとテナーサックスもやるようになったんですw
基本的に僕のメイン楽器はベースと鍵盤が中心だったので、ギターとかサックスは全然うまくなかったですが、何気にギターは結構弾く機会が多かったです。
そしてもう一つは女性ボーカルのバンドでBangles、Heart、Bon Joviなどの80〜90年代のロック系の曲を中心にコピーしていたバンド。
そこでは僕はギターとコーラスをやってました。
その頃個人的に80〜90年代の洋楽を好きでよく聴いてたので、割と自分の好きな曲をやらせてもらえてたバンドでした。
余興的にメンバーがそれぞれの楽器を持ち変えて曲をやったりもしていて、僕はその時はドラムを担当しました。
マネごと程度ですが、一応ドラムもちょっと出来たっていうw
ここでもオリジナルを数曲やらせてもらいましたねー。
その曲をスタジオ入ってレコーディングしてデモテープを作ったりもしました。
あと、このバンドで、18歳以下限定の音楽コンテストに出場して、見事「銀賞」を勝ち取りました!
その前の年にも実はロックコピーバンドの方でも出場したんですが、その時は受賞を逃していて、なんとしても次の年には取りたかったんですよね。
ちなみに前年にロックバンドで出た時はMR.BIGの曲のコピーで出たんですが、後で審査員の方に
「こういう時はオリジナルをやるか、オリジナリティーがあった方が強いよ」
と言われたのを覚えていて、翌年は別バンドでクリスマスソングを僕がロックアレンジして、衣裳や振付まで考えて出場したんです。
そしたらそれが評価されたんですねー。念願かなって取れたので相当嬉しかったのを覚えてます。
ブラバンでは、顧問の先生がトロンボーンをやっている方で、その方が作ったオリジナル曲を中心にやってました。
オリジナル曲と言っても、曲調はジャズ、ボサノバ、ロックンロール、フュージョン等、色んなジャンルの曲がありました。
曲は基本的に自由度が高い感じで、セッションぽいというかなんというか、ソロ回しをするようなスタイル。
リーダーの合図でどのパートに行くかがリアルタイムで変わったりするっていう、高校生にしてはなかなかハイレベルなことをやってました。
ここでも相当色んなことを磨かれましたねー。
僕はベースでしたが、急にソロを振られたりするんだもん!
ブラバンに所属してたのに、ここではサックスはやってなかっていうねw
曲を(確か「Stand By Me」とかだったかな)僕がブラスアレンジしてやらせてもらったりもしたので、それぞれの楽器用の譜面を書いた記憶があります。
今考えればよくやったな・・。
当時バンドでやっていた曲って、スコア(譜面)のないものも多かったんですよね。
スコアがあればベースラインとかも全部音符やタブ譜で書いてあるんですが、無い曲はとにかく耳コピ。
ひたすらいろんな曲を耳コピしてたので、そこでかなり耳が鍛えられましたよ。
ちなみにピアノの方はというと、高校2年生までずっとピアノのレッスンは継続して通ってました。
中学の発表会ではモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」を弾き、
高校の発表会ではショパンの「幻想即興曲」を弾きました。
バンドと並行しつつ、しっかりクラシックピアノもやってたわけです。
学校でも音楽イベントがあると相変わらずピアノ担当。
自分の卒業式とかでもなんだかずっとステージの上にいた記憶があります。
高校生の時は、音楽で何かしらプロデビューしたいと思ってました。
ベースでプロになるか、バンドでデビューするか。
でもなんとなくどちらも中途半端になってしまい、あまりそういう方向では積極的に動いてなかった気がします。
大学への進路を決める時に、僕はずっと音大に行く気でいました。
高校の時はだいぶオリジナル曲も作って、作曲にもかなりハマっていたので、
もっと専門的に曲作りを学ぼうと思って作曲科に行きたかったんですよね。
そのつもりで音大のピアノの先生のところにレッスンにも行ってみたりしましたが、親と相談して最終的には普通大学に行くことに。
音大はそもそも学費が高いということと、
僕自身クラシックを専門的に学びたかったわけではなくて(どちらかといえばポピュラー系の方が好きになってた)、単純に音楽に触れていたかったということと、
音大は就職に不利だと言われて、もし音楽関係の一般の会社に勤めたいとなった場合に厳しくなるかもということで、
じゃあ普通大学に行くかと。
で、結局通ってた高校は大学まで付属のところだったので、その流れで移行して同じ私立大学に行きました。
「大学生編」へ続く!