「小学生編」に続き、中学生の時の音楽事情を書きます。
中学に入って時代は90年代に突入。
この頃から、僕の音楽事情が少し変わってきます。
中学は受験をして、都内の私立男子校に通ってました。
部活は本当は音楽系のことをやりたかったんだけど、音楽に関する部活がほとんど無かったのと、
親に「なんか運動しろ」と言われていたので硬式テニス部に入りました。
なんでテニス部に入ったかと言うと、運動部の中でも一番楽そうなところに入りたかったから。
テニスコートってサッカーとかに比べるとそんなに広くないイメージがあったので、
あの狭い中でちょこまか動いてるだけならそんなにしんどくないだろう・・・と、
中坊の浅はかな考えで入ったのが大間違い。
そもそも、やってみたらテニス自体がすごくハードなスポーツだということにすぐ気付きました。
しかも顧問の先生が厳しかったので、筋トレとか体力作りとかハンパないし、
なんなら校内の部活で一番厳しいんじゃないかっていうくらいハードでした。
失敗した〜・・・って感じでしたが、でも実はその部活でつながった友人との出会いが結構大きくて。
その友人関係から音楽にも影響が出たし、いまだにつながりがあるくらいに続いてる友人達です。
中学2年生の頃から色々と音楽に変化が出てきました。
さすが「中二病」と言われるだけあって、色んな事に興味を持ち始めたんですね。
聴く音楽も周りの友人の影響があったり、テレビの影響があったり、それまで自分で聴くのはクラシックばっかりだったのが、J-POPも聴くようになっていきました。
当時ヒットしていたアーティストとか、テレビのCMやドラマ主題歌で聴いたようなのを片っ端から色々聴いてました。
特にプリプリ、ドリカム、リンドバーグ、ユーミン、チャゲアス、杏里、KAN、原由子、この辺が多かったですねー。
で、その頃に、それこそテニス部つながりで仲良くなってた友人たちと「音楽スタジオ入ってみよう」っていう話になったんですね。
一人がドラムを習い始めたということで、「一緒にスタジオでなんか合わせてみない?」というノリで。
とりあえず友人同士3人で立川にあった音楽スタジオ入って、僕はピアノをやってたのでキーボードを、
もう一人の友人もピアノをやってる人だったので同じくキーボード、そしてもう一人がドラムと。
知ってる曲をなんとなく合わせてみたりして、結構楽しかったんですよね。
だからバンドとしてやって行こうと。
その頃、バンドでキーボードをやる上でピアノの技術だけじゃダメだろうなとなんとなく思ってました。
鍵盤を弾くこと自体はそこそこ出来るけど、でもバンドのキーボードって他にどんな技術とか知識が必要なんだろう?と思ってたんですよね。
そしたらその頃、サザンのキーボードの原由子さんが、
「周りにピアノを出来る子はいっぱいいたけど、私はコードが出来たからバンドで重宝された」
と、コラムかなんかで言ってるのを見て、よし!僕もコードを勉強しよう!と思ってコードを学び始めました。
その頃習ってたピアノの先生にコードも学びたいって伝えたんですが、クラシックの先生だったのでコードは分からないと言われてしまい、
しかも「コードって難しいわよ〜」みたいに言われたので若干くじけそうになってました。
でも、コード理論の本を買って必死に勉強して、独学で習得してやりましたよ。
そんなこんなでドラム一人とキーボード二人で何回かスタジオ入ったんですが、バンドとしてはなんか物足りないねと。
低音がないんですよね。
じゃあ、僕ベースやってみようかなってことで、それきっかけでベース始めました。
うちは父親がベースをやってた人だったので、なんかご縁があるし面白そうかなと思って。
とりあえず御茶ノ水行って中古のベースとアンプを買ってもらって、これまた独学で教本片手にひたすら練習してました。
そこから僕のベース人生が始まります。
思えば、この中2の時から大学卒業までは、ずーっとベース弾いてましたね。
だから学生時代の友人に僕が歌やってるとかボイストレーナーやってるっていうと大体驚かれます。
え?ベースじゃないの!?みたいな。
それくらい学生時代はベース中心の音楽生活でした。
それでバンドの方は僕がベースになったことで、ドラム、ベース、キーボードがそろったので少しバンドっぽくなったわけです。
今度はボーカルを入れよう!ということになり、キーボードの子が小学校の頃の友人の女の子に声をかけてボーカルとして加入してもらいました。
女性ボーカルということで、プリプリ、リンドバーグ、ドリカムあたりをひたすらコピーしました。
で、4人でやってても、やっぱりギターが欲しいよね・・という話になり。
その後のバンド活動の話は「中学生後編」へ続く!